「暮らしの学校だいだらぼっち」の成り立ちについて教えてください。
1980年代初頭、この地で、子どもたちがすべてを決めるフリープログラムキャンプが始まりました。3日間のキャンプでは物足りないから1週間、それでも足りないから1カ月と、子どもたちの希望でどんどん滞在期間が延びていき、1年もあったら食べ物も食器も家も自分たちの手でつくれるんじゃないか。こんな途方もない発想から「みんなで暮らすお家をつくる」というプロジェクトがスタートします。子どもたちは地域の学校に通いながら、木の皮を剥いだり、敷石を並べたり、大工さんに手伝ってもらいながら、少しずつ自分たちの家をつくっていきました。その延長線で立ち上げられたのが「暮らしの学校だいだらぼっち」です。ここは今も昔も、子どもが「自分たちのやりたい」を実現させる場ということですね。
共同生活を送っていく上でどんなルールがありますか?
ここには大人が決めたルールも規則も禁止事項もありません。あるのは3つのおきてだけ。
●「この指とまれ」…ここに来ることも、暮らしのあらゆることも、自分のことは全部自分で決めよう。
●「持ち寄りの心」…できることはみんな違う。お互いの違いを認めながら、自分にできることを精いっぱい頑張ろう。
●「一人一票」…暮らしに関するあらゆることはみんなで決めよう。みんなが納得するまでとことん話し合おう。
自分で決めるという主体性を持ち、仲間の個性を受け入れながら支え合う。だいだらぼっちに関わるみんなが、幸せに暮らしていく上で大切なおきてです。
子どもたちはここでどんな1年を過ごすのですか?
「暮らしの学校」とある通り、ここの土台は暮らしです。やりたいことだけでは暮らしていけませんので、ご飯づくりや風呂焚き、薪割り、掃除も洗濯も、暮らしのすべてを子どもたち自身が担っていきます。もちろん、スケジュールやルールも仲間と話し合いながら決めていかなければなりません。ですから、どんな1年を過ごすかは子どもたち次第、明日は子どもたちの手の中にあります。楽しいことも悲しいことも全部ひっくるめた仲間たちとのストーリーが、ここから始まります。
共同生活を通じて子どもたちが得るものとは何ですか?
何を得るかもやっぱり子どもたち次第なんですね。たとえば、毎日のご飯づくりから得られるものとは何だと考えますか? 大人はつい「料理ができるようになる」と答えてしまうかもしれません。でもきっと、子どもたちはもっとたくさんのことを学んでいるはずです。仲間とどう協力したらうまく進むか、薪の火はどう燃えていくか、包丁はどう持てばいいか、などなど。「これを教えたら、これができるようになる」ではなくて、ゆるやかに流れていく暮らしの中で、小さなことに気づいていく。その積み重ねが、子どもたちにとっての大きな学びにつながるのだと私たちは考えています。
子どもたちと暮らしていく上で、どのようなことを心がけていますか?
一番大切にしているのは、一人の人間として子どもたちと関わっていくことです。人間である以上、腹を立てることもあれば、落ち込むこともあります。そうした大人たちの感情の変化、もっといえば人間性を子どもたちはよく見ているんですね。隠そうとしても、すぐにバレてしまう。それほど、子どもたちの人を見る目は鋭いです。だから私自身が、自分を裏切らない生き方ができているか。自問自答を繰り返しながら、子どもたちに恥じない生き方ができるよう心がけています。